サード・アルバムのレコーディングでは初めてプロデューサーがついたんだよね。それまでのセルフ・プロデュースでマジックが出来る事は全て出し尽くした感があったから、今思えば正しいレコード会社の選択だったと思う。最初は「プロデューサーって何なのよ?」ってな感じで全く意味がわからなかったんだけど、一緒に作業を進めていく中でなんとなくその意味も理解していったしね。プロデューサーの魚海さんの第一印象・・・永ちゃんノリの変わった人だなぁ〜なんて思ったけど、初めて魚海さんがマジックに持ってきた曲のデモ・テープを聴いたときはブ飛んだね。まず第一に曲が良い!ロカビリー野郎じゃないのにロカビリーのツボを押さた曲作りとアレンジにはビビった。「強敵出現!」、そんなカンジ。次にデモ・テープのクオリティーが高い!それまで聴いたことの無い音質の良さと完成度の高さにこれまたビビった。イントロからエンディングまで全てアレンジされてスキがないんだよね。それもそのはず魚海さんの師匠は「NOBODY」。NOBODYといえば永ちゃんと一緒に作品書いたり一緒にプレイしてた人達だから、魚海さんに永ちゃんノリを感じるのもうなずける。もちろんNOBODYがマジックに提供してくれた楽曲のデモ・テープも同様に完璧。もうこの時点で俺が受けた衝撃がサード・アルバムで学んだ事の80%は占めてるな。もうマジでカルチャー・ショック。(笑)
そしてマジックが書いた曲を持って魚海さんと共にまたもや千葉合宿。ここではアレンジを詰めたり、メロディー・ラインを直したりして曲を完成型に仕上げていった。この作業工程の中で作曲のツボを漠然と学んだね。あと、60年代の音楽との出会い。これも大きかった。俺は音楽に目覚めてからロックンロールとロカビリーしか聴かないというかなり偏った人間だったのね。ところが今回のプロデュースのおかげでビートルズをはじめとする60'sポップスを聴くようになったんだよね。それまでビートルズに持ってた俺のイメージは「マッシュルーム・カットのフヌケたバンド」だったんだけど、よくよく考えてみたら俺たちマジックもロカビリーをポップに進化させようという狙いには共通項があるということに気がついて、突然60'sのマージービート関係のバンドを聴くようになったんだよ。この辺はNOBODYの影響が大きいな。アルバムも全部買い揃えたしね。
録音に使ったギターは1958年6120。一曲「さらば青春の光」のエンディング・ソロだけは魚海さんのストラト・キャスター。アンプはフェンダーのバンドマスターだった・・・かな?「バンコックの夜」のギター・ソロだけはNOBODYの相沢さんが1958年6120を弾いてるんだけど、俺と同じセットアップのまんまなのに音が全然違うんだよね。弾き手でこんなに音が変わるってのは初めてこのとき知ったんだよなぁ〜。あ、そういえばほとんど全曲にコンパクト・エフェクターの「RAT」を使ったような気がする。今となっては「何でRAT?」なんだけど、まだまだギター・サウンドには試行錯誤の時代でした。(笑)
レコーディング使用機材
1958年 グレッチ 6120
フェンダー ストラトキャスター
バイン バンジョー
フェンダー バンドマスター
プロコ RAT